駄菓子屋さんのゲームも年功序列だったな…(Wiccaの気楽にゲームあれこれ)

ファミコンに触れる前の話

小学2年生の時、近くに新しい駄菓子屋さんができた。

それがビデオゲームに初めて触れる機会となった。

当時はまだゲームといえば、ゲームセンターのゲーム筐体プレイするものであり、そこは不良や悪い大人たちのたまり場だと言われていた

実際、私の住んでいる地域は、そんな感じであった。

父親はよく行っていたみたいなんだが、それを知った祖母(父の母親)がよく怒っていたが…まあ、その話は置いておくことにしよう。

で、その駄菓子屋さんは小さいが二店舗のような形をとっていて、もう一方の店舗にゲーム機を3-4台、置いていた。

1プレイ50円と10-20円のものがあり、50円のゲームは人気があり、プレイしていると後ろに人だかりができていた。

人気のゲーム機は低学年は基本プレイできない

私は小遣い制ではなったので、人だかりに混じって見ることしかできなかった。

何度か見ているうちに気づいたことがあった。

人気ゲームでプレイしているのは、五、六年生以上で、その人たちがいない時にだけ、三、四年生がプレイしていた。

三、四年生がプレイしている途中に、五、六年生がやってきたら、すぐにプレイを終わらせて(つまりわざと失敗するなどして)受け渡していたのだ。

終わらせようとしなければ、画面に手をおくなどして、邪魔されるので結果的に同じである。

一、二年生がプレイしようとすると、店の中でたむろしている子が「やめておけ、怒られるぞ」と忠告しているのを見たことがある。

ただし、親と一緒に来ている場合と、高学年に兄がいる、あるいは親しくしている存在がいる場合は、例外としてプレイしてもなにも言われなかった。

その時は、それほど違和感はなく、そうなんだと素直に受け入れていた。

私には、高学年と親しくしている同級生がおり、その子がプレイしているのをよく見ていた。

当然、私はプレイしていないし、ゲームに興味はあったが、そこまでしてプレイしたいとは思わなかった。

レディバグという、パックマンに似たゲームだった。

年功序列ではあったが……

10円のゲームをプレイしていた時である。

あまり上手ではなく、すぐに死んでしまう。

すると見ていた上級性が、話しかけてやり方のコツを教えてくれた。

シューティグだったので、コツを教えてもらったからと、すぐに上手くなるわけではない。

前よりは進めたけど、すぐに死んでしまった。

その上級性が「みとけよ….」といってプレイしてくれた

確かに効率良く倒して、そこそこ進んでいた。

一機倒されたあと

「やってみろよ、いいから…」

なんと、残りの機数をプレイさせてくれたのである。

私がよくゲームを見に来ていたので、顔を覚えてくれていたらしい。

その上級性は自転車で来ていたので、かなり遠くからだと思われた。

ゲームセンター以外でゲーム筐体があるのは、周辺でも駄菓子屋ぐらいしかなかったので、プレイしたければここに来るしかなかったのだろう。

ファミコンを手に入れると…

駄菓子屋さんも小学四年生になる頃には閉店してしまった。

プラモデルなんかも扱っていて、好きだったが、ファミコンを買ってもらってからは、ほぼ行かなくなってしまった。

ドルアーガの塔が50円筐体でプレイできるようにしていた時は、わりと通った。ドルアーガの塔の攻略ノートも置いてあって、よく読んでいた。

小遣いも貰っていたが、三年生にもなると、上級性がより怖い存在になってくるわけで……

年功序列というのは、この頃からすり込まれているようである

※クリアしている動画があったので……

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